ネムールの日記

呟きます。

夜の西新井大師

 西新井大師は関東厄除け三大師と呼ばれ、川崎大師、観福寺に並べられる場所です。この三大師は真言宗空海様を御本尊としている仏教の宗派です。大師というのは偉い人に対しての呼び方で真言宗の場合、弘法大師空海様の事です。この空海さんにちなんだ有名なことわざがあり、「弘法も筆の誤り」で由来は天皇の命で「応天門」と書こうとしたとき「応」の字の下の「心」の部分の真ん中の点を書き損じた事が由来とされています。

 

f:id:Y812inc:20200514185310j:image

本堂の外観です。

f:id:Y812inc:20200514185340j:image

本堂の前にある池です。

 

また、天長の昔、関東巡錫の折、当地に立ち寄り悪疫流行に悩む村人たちを救おうと自ら十一観音像と自分の像を彫り、観音像を本尊にして自分の像を枯れ井戸に安置して二十一日間の護摩祈願を行ったところ清らかな水が出て病は平癒したと伝えられています。西新井という地名は本堂の西側に井戸があったからと伝えらています。

 

f:id:Y812inc:20200514185353j:image

本堂の横にある池です。

 

他にも見どころがあり、西新井大師を出て参道を歩くと中田屋と清水屋という草団子屋があり、長く続いているお店があったり、牡丹の花が有名なので牡丹園もとても綺麗です。

 

最後までご視聴ありがとうございました。

 


[night]Japanese Temple Nishiarai daishi

東京駅と皇居

 

 今の東京駅は2012年に復元工事を終えた東京駅です。

東京駅の建設が始められたのは1908年でおよそ6年の歳月をかけて1914年に開業をしました。この開業した年はちょうど第一次世界大戦が起こった年でもあり、大正天皇の即位礼の前年でもあります。この東京駅は鉄骨レンガ造りで3階建ての建物です。東京駅の乗車口は南側にありますがなぜかと言うと正面は皇室専用の出入り口として造られたからです。また、北側のドームは降車口として造られました。当時は乗車口と降車口で分かれていたようですね。

さらに、外壁に使われた赤レンガは90万個以上であるそうです。

 

f:id:Y812inc:20200511053410j:image

上の写真は昼間の正面から撮った写真です。恐らく写真の中央が皇室専用の入り口です。

 

f:id:Y812inc:20200511053414j:image

上の写真は夜に撮った写真です。

 

夜の東京駅はとてもきれいですね。

後ろの現代的なビルとの対比が感慨深いと思います。

東京駅は駅でありながらホテルでもありました。客室数56室あり、海外に簡単に行けない当時の人々にとって西洋のスタイルで荘厳な建物であるためとても人気があり盛況だったそうで、一度は壊れて休業していましたが2012年から再び開業したそうです。

 

 この東京駅を出てから真っすぐ進むと皇居があります。東京駅は東京府の中心に立てられました。

 

皇居はもともと江戸城と言うお城で260年続いた江戸時代の中心にあった建物で今では天守閣はもう見れませんが、今でも跡地や櫓を見学することができます。

 

f:id:Y812inc:20200511053837j:image

上の写真は再建された櫓です。

 

櫓(やぐら)とは、高いところから外を監視、攻撃するための建物で、富士見櫓、伏見櫓・多門櫓、桜田巽櫓があります。
f:id:Y812inc:20200511054151j:image

上の写真は天守台です。

 

江戸城太田道灌が建築しました。徳川家康の入城は1609年の事です。


f:id:Y812inc:20200511054155j:image
f:id:Y812inc:20200511054147j:image
f:id:Y812inc:20200511054158j:image

上の複数の写真は本丸跡地の説明や天守台の説明等です。


f:id:Y812inc:20200511053840j:image

上の写真は一般参賀時に見ることのできる桔梗門付近です。

 

ご視聴ありがとうございました。

 


Imperial Palace in Tokyo to Tokyo station


Imperial Palace in Tokyo Chiyoda ward